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招福猫児 (まねぎねこ)

招き猫の所以は、諸説あります。
 
その1つが、東京世田谷にある豪徳寺より伝わる “タマ伝説” です。
 
新緑が清々しい季節、豪徳寺に行ってきました。
 
 
小田急線 豪徳寺駅下車。
 
で〜んっ!
 

 
駅前の固そうな招き猫。町のいたるところにネコ登場。
いかに親しまれているかがうかがえます。
 
 
歩くこと10分、山門に到着。
 
 

 
『大渓山 豪徳寺』彦根藩井伊家の墓所として有名なお寺です。
 
 
 
 

 
 
 
 

 
松並木の参道や
広い境内には、もみじやさくら、たいへん自然豊かです。
 
 
 
 

 
小さく見えますが、ヒトの顔以上の大きさが見事な牡丹。
 
 
 
 

 
涼やかなお顔で、石をたくさん持っている。 なぜかしら。。。
 
 
 
 

 
 
 
 

 
こちらは、15代藩主 幕末の大老 井伊直弼のお墓
お墓の前に石の扉がついています。
 

 
 
 
 
さて、“タマ伝説”。
 
 

 
 
もともと、この地には、奥州吉良氏により築かれた世田谷城がありました。
文明12年(1480)、城主であった吉良政忠は、叔母である弘徳院のために敷地内に「弘徳院」創建しました。豪徳寺の前身です。
現在の豪徳寺2丁目を中心に、世田谷は城下町として栄えていました。
しかし、天正18年(1590)小田原征伐の際、世田谷城が廃城となり、弘徳院もだんだんと寂しくなっていきます。
時は江戸に入り、辺りは彦根藩井伊家の所領となります。
当時、弘徳院の第4代ご住職は、タマという真っ白なネコを我が子のようにとても可愛がっていました。
ご住職は、「汝、我が愛育の恩を知らば 何か果報を招来せよ」とタマにお話していました。
 
 
ある日のこと、門前が騒がしいので外へ出てみると、
鷹狩りの帰りと見られる武士が5〜6人、暫し休憩をさせてもらえないか?と訪ねてきました。
聞けば、門前を通りかかると、白いネコがうずくまりこちらを見て頻りに手招きをしている、
気になった一行は馬を降り、ネコに誘われるように境内へ訪ね入った、とのことでした。
快く客人を招き入れ、お茶を振る舞おうとしたとたん、にわかに空が曇りだし、雷とともに激しい夕立が降り始めます。
激しい雷雨の中、ご住職は心静かに武士達へ説法をします。
すると、客人は、自身が彦根藩2代藩主 井伊直孝であると名を告げ、
「ネコに招き入れられ雨をしのぐことができ、しかもご住職のありがたいお話に預かることができた、
 これも仏さまの因果でしょう」 
と、大変よろこび帰っていきました。
この当時、お寺はお茶を振る舞うことも苦労するほどに貧窮していたといわれます。
 
後日、井伊直孝はこのお寺を整備するために伽藍を寄進し、井伊家の菩提寺とします。直孝の戒名から『豪徳寺』とされ
お寺は盛り返したのです。
 
 
時が経ち、福を招いてくれたタマが亡くなると
ご住職は、お墓を建て冥福を祈り、弔います。
タマが右手を上げて招いている姿形を招福猫児(まねぎねこ)と称し、境内に「招猫殿」をつくり、招猫観音を祀りました。
以降、富や人の縁、幸福を招いてくれると、人々はその吉運にあやかり祈念するようになりました。
 
 
これが、“タマ伝説”
招き猫のはじまりとされています。
 
 
 
 

 
「招猫殿」
 
 
 
 

 
猫ラッシュ!
 
 
招福猫児に願をかけ、心願成就した際には、
「招猫殿」の脇にある祠に返納すると、さらにご利益があると言われています。
 
 

 
 

 
よ〜く見ると
カスタマイズされている招福猫児も。
 
 
 
 

 
もしかしたら、白いねこに出会えるかな〜と、淡い期待を持って行きましたが
 
ネコ、1匹見かけなかった。
 
そのかわり、井伊家にゆかりある、ゆるキャラ界の帝王・ひこにゃん様が
豪徳寺にいらした時の記念写真など、発見。
豪徳寺商店街自慢のキャラ、たまにゃん様と感動のご対面をはたしていました。
 
 
 
ニョロニョロも、コンニチハ。

 
 
 
 
本堂の写真がありませんが、しっかりお参りしてきました。
 
 

 
 

 
 

 
 

 
ありがとうございました。
 
 
 


豪徳寺(ごうとくじ)
1480年(文明12)、世田谷城主・吉良政忠が建立したと伝わる曹洞宗の寺
所在地/東京都世田谷区豪徳寺2-24-7
小田急線 豪徳寺駅下車 徒歩10分
東京急行電鉄世田谷線 宮ノ下駅下車 徒歩5分