大興四代目 大西巧さんのハナシ。
ご創業大正三年、近江和ろうそく「大與」の四代目。25歳で父に弟子入り以来、職人道をまっしぐら。すべては美しい灯のために。絶 妙なバランス感覚で和ろうそく作りを支える32歳の灯り哲学とは?不定期で、直球仕事とはちょっとスタンスを置いて、ゆるゆると、トモダチ同士の会話の連載です。
(聞き手と編集/ここかしこ・有井ゆま)
あ)前からおもってたんだけど、右の手のひらのタコ、すごい立派だよね。
大)蝋は左手で塗るから、左にできそうな感じだけど、実は右手が大事だったりするんです。
あ)右利き?
大)はい。多分左利きだったとしても、道具はこれしかないから、矯正させられてたんだろうな。(笑)
あ)この道具は?
大)いま使ってるのは、やりはじめて2年目くらいに父がこしらえてくれました。
最初、父の道具を使ってたら、職人が他人の道具いつまでも使ってたらあかん、言うて。
あ)お父上はこのタコを見てなんとおっしゃいますか。
大)そんなん、なんにも言いませんよ!やっていれば当たり前だし。
当たり前じゃないことができるようになったら、なんか言ってもらえるかもしれない。
あ)それってどんなこと?
大)うーん、しいて言えば、父に見えてて、僕に見えてないものが「当たり前じゃないこと」なのかな・・。
父は40年、ろうそく作ってますからね。
あ)巧さんの人生より長い歳月だ。
大)はい。父は、技術を習得するのに3年、「あらゆること」に対応できるのに10年、と言います。
奇跡的に毎日工房を同じ温度と湿度に保つことができたとしても、
3年では「あらゆること」に対応できるようにはなれないんですね。
10年というのは、10回の季節を反復せよ、ということなんですよね。
あ)そっか。お茶の道みたいだね。
この8年、ご自身で「感覚器官の性能が上がってるな」みたいなことを感じる?
大)はい、すごく。そうじゃなかったら、こうしていられないと思います。作るということの副産物なんだけど。
あ)「体を動かして作る」人たちがすごいのは、第一に、知覚と運動?が瞬時にちゃーんと連携しているところだと思う。憧れます。
大)養老孟司さんの、「長島茂雄さんが物理学を勉強したらもっとホームランを打てたのか?」という話、知ってはります?
やってることは物理学だけど、物理学を勉強したら、ホームランは打てないらしい。
頭で考える速さよりも、体が反応するスピードの方がはるかに速いんですって。わかってるってことと、
それを使えるかっていうことは違うみたい。
あ)確かにね。理論と実践はちがう。ゴルフするおとーさんの口癖みたいだけど。
大)うん。「西洋はそれなりのわかり方をしてきた。日本はそれなりの使い方をしてきた」って、
養老先生の「かけがえのないもの」というご著書に書いてあって、このフレーズ、すごくアタマに残っているんです。
あ)ふーん、そうなんだー。
何かの本で読んだんだけど、一神教では神との対話が重要で、対話によって神や自己の存在を理解するから、
「わかる」ことに慣れている。
日本では、頭で理解しなきゃというより、神様とか、超越した存在はそこら中にいるから、
「わかる」というより「感じる」ことに慣れている、って。
その話を思い出した。
大)なるほどね。
僕のイメージでは、そのフレーズの真意は、理解の手法のちがいというより、なんとなく、体の使い方が、ヨコよりタテ、
っていうイメージでね。
あ)えーじゃあ、「JUDO」と「柔道」の違い、は?
全員で共有しようとすると、どうしても細切れになる。西洋生まれの競技と一緒で、明快な「得点法」ができる。
でも、「前後の流れ」とか「加減」とか、のつながりが大事だ、となれば、
それは、「柔道」が”使える”人にこそ感じられる妙味だよね。
もちろん、海外の柔道家たちも、流れを”感じて”体を”使って”いるはずだと思うけど、
競技JUDOに誤審とか見解の相違が尽きないのは、根本の見方が違うんだから、ある意味仕方のないことだよね。
大)お!出た、ゆまさんの「スポーツたとえ」!
あ)私の中の小さなおじさんが暴れております。
大)養老先生の本には、頭の中にある、運動するためのソフトをヨコから輪切りにする見方と、
タテに取り出す方法があると書いてある。ヨコ型が西洋、タテ型が日本だと。
つまり、1,2,3…と番号ふって、コマ割りで理論づけられるのが西洋の感覚で、その逆が日本なのかな、と。
和ろうそくの作る行程をコマ割りすることはできないと思います。それは常に連動だし、季節によっても変わるし。
現に今、コマ割りしようとしたけれど、細かいところは実はよくわからないんですよ。
蝋に手をつけたときの伝わる熱感覚や、ろうそく本体のぬくもりや、作る環境にも関わるから、
実際に座ってみて、そこで得た感覚を情報に手が動いてる。
洋ローソクの場合は蝋に手をつけませんからね。手で触れられない分、数字で見るしかないんじゃないでしょうかね。
父はそれをわかってか、わからないでか知らないけれど、必要最小限のことしか言わなくて、あとは見て覚えろ、
と今でも言ってますね。お前言うてもできひんやろ、と。笑。
だから反復なんだろうな、と思うんですよね。
あ)なるほど。実践と反復。重い言葉だね。
大)そう、頭では作れません。手を動かす中でどんどん習得していく感覚は、
優秀なバッターでも選手である以上は素振りを繰り返すのと一緒じゃないかなと・・・
あ)陰で誰よりも素振りをしたという落合だね。
無我の境地のときに、最高のパフォーマンスができて、幸せを感じるという・・
ひたすら素振りしている時に波がこみ上げてくるような感覚ってありますか。
大)あるかも!
最初は考えるんですよ。ろうそくの形をよく見るし、今、蝋の状態はこんな感じだとか、今日は暑いな、とか。
ところが作りはじめていくと、意識しなくてもできていっている、それでできあがってきたろうそくは、考えてやってたものより、美しく仕上ってる。
これは不思議体験ですよ!電話とかがきっかけで、ふっと集中が切れたときに、いま何も考えてへんかったわぁ、って。
手が記憶してるんですよ。多分1年サイクルで。笑。
あ)へえー!そういう、仕上がりが目の前で実感出来る日常、って素晴らしいよね。
好きなことをしていて我を忘れると、ハイパフォーマンスができる、その境地を心理学でフロー状態って言うらしいんだけど、
最初にこの単語を聞いた高校生くらいの頃、わー、すごくいい言葉だ、すきだなーと思って、
誕生日にもらったカエルのぬいぐるみにフローって名前を付けたことがあった。
大)カ、カエル…。
あ)その心理学者は、「忘我の境地で良いシゴトができる」という考えは禅に共通すると言っていたように記憶してます。
剣豪同士の戦いなんかを想像しちゃう。勝ったけど、覚えてない、みたいな。
フローの境地に入るには条件が7つあるらしいです。
1.時間の経過と共に自分が何をしたいのか分かってる
2.ただちにフィードバックが得られる
3.何をする必要があるか分かっている
4.それが難しくても可能なことである
5.時間の感覚が消失する
6.自分自身のことを忘れてしまう
7.自分はもっと大きな何かの一部であると感じる
(引用サイト http://www.otokan.com/blog/2011/07/31/1947.html)
大)いまびっくりしたんだけど、全部僕に当てはまりますよ!
あ)ほんとですか。それって、ろうそく作りがほんとにお好きだということだよね。
でも職人さんにとってはさ、ただ好きなピアノとかゲームとかに熱中するのとは次元がちがって、どこかものすごく冷めているところもあるわけでしょ。
熟練の職人さんたちって、仕事しながらフツーに会話できたりするもんね。
大)心底必死かどうか、っていう違いかも(笑)。技術を身につけるまではほんと必死だから。
師匠の仕事を見なくちゃいけないし、自分の手は動かさないといけない。良いもの作りたいって気持ちは、なにしろ必死だから。
熟練の職人さんは、頭の中は常に変化できる仕様に、体は記憶装置に、そういう進化を遂げちゃうんでしょうね。
あ)それに、使う方達のために、真心をこめていらっしゃる。
大)はい。疲れますよ。魂こめてますからね(笑)。
>>>魂・・・という言葉が出てきたところで、次回は、命の象徴でもある灯火のこと、さらにディープなお話を、メガネ姉弟としてゆるゆる伺っていきたいと思います。
続き 連載その2) 続ける、繋げる、はコチラ
前回 連載その1) 曖昧が大事、というハナシはコチラ
「心を包み込むような本物の灯りは、日本伝統の和ろう そくでしか創り出せない」という創業者の思いを受け継ぎ、
和ろうそくにおいて、多くの支持を得ている。大本山永平寺御用達。
1984年滋賀県指定 伝統工芸品認定。2011年「お米のろうそく」でグッドデザイン賞、グッドデザイン中小企業庁長官賞受賞。
NHK「美の壺」など、多数のメディア にも出演。
http://www.warousokudaiyo.com/