「愛犬との別れ」のお話です。
かけがえのない、かわいい家族を失う悲しみは、簡単に癒えるものではありません。ご一緒に泣いたり笑ったり、お別れ経験者のお話を共有するミニ連載です。別れの時、その後の暮らしのことなど、少し時間が経った今だからこそ語れる思い出を振り返ります。私たちは本当にあなたたちが大好き。世のわんこたち、みんな、バンザイ!
ほんとうにかわいい、賢い、よくわかっている子です。
家族がすこしでも、一緒の時間をとれるようにと気遣ってくれたのか、
大みそかの14時ちょっと過ぎ、満18歳の誕生日まであと6日という日、自宅ですうっと息を引き取りました。
晩年の1年は、寝たきりになりました。
彼もつらかったはずで思い出せば胸が痛むけれど、
最後までとても立派に頑張ってくれました。
獣医さんにもう歩けないと言われてからも、2度復活してお散歩にも行ったし、
数回、自分からはご飯を食べられなくなる危機に直面しても
獣医さんの許可を得てあげてみた新発売の無添加ジュースを、それはもう猛烈に気に入って、
この世にこんなウマいものがあったか!と言わんばかりに急にスイッチ入ってゴクゴク飲んでくれたり。
それまでトロンとしていたお目目をピッカリと輝かせて、彼が食べよう、生きよう、としてくれた瞬間は
笑いと感動に包まれたとっても幸せな光景でした。
(この魔法のジュースのおかげで、全盛期の50%にも到底及びませんが、
さまざまなメニューが考案され、一時はグンっと食欲を取り戻したのでした)
亡くなる半年前には、かかりつけの獣医さんに長寿を表彰していただきました。
「あなたは、長年にわたりほかの犬のお手本として、
家族の深い愛情のもと、人間生活の質向上に貢献されました。
ここにその功績をたたえます。」
表彰状の言葉に、このちいさな体への感謝の気持ちがあふれてきて、
涙でぐちゃぐちゃになりながら記念撮影していただいたことは、
本当に良い記念になって残っています。
ずっとお世話になってきた獣医さんたちは、刻々とその日が近づいている飼い主の哀しみと、
付きまとうエゴではないのかという不安を、大いにケアしてくださいました。
老衰と痴呆に、延命というほどの過酷な処置方法はありません。それは救いでもあるけれども、
彼も、私たち家族も、ただ刻々と、別れの時に向かって近づいていく。
いかに老いたりとはいえ、立って、歩いて、ちょっとでも遊んで、自分で食べる、という犬としての本領を失い、
痴呆のためか、どこか痛いのか、時々夜中にキューンと声を上げるようになった彼を、安楽に送るという選択ができないのが、
悲しい過ちなのではないかと思ったこともありました。
けれども、彼自身もきっと、もっとずっと家族と一緒にいたいから頑張ってくれているのだと信じて、介護の日々を過ごしました。
何をしても、何をしなくても、愛するばーくんはあまりにかわいくて、いつでも癒してくれました。
大みそか、お正月、は近所のペット霊園がお休みということで、
寒いのが大の苦手だったバー君は、かわいそうにドライアイスのベッドでおねんね。
1月2日、同所にて火葬。
その間、霊園さんではこんなお花を出してくださり、まぁー、そのお心づくしに一同感心。
泣き笑いです。
火葬ご担当の方は、綺麗に、本当にきれいにお骨を並べて下さり、
人と同じように、ここがお手手、ここがしっぽの付け根、とご説明くださる。
「いやー、本当に丈夫で立派、素晴らしく綺麗なお骨をなさってます。」とほめていただき、
事ここにいたっても、こんなにすごいバー君は我が家の誇りなのだと改めて自覚。
お骨になっちゃってさえも、こんなにかわいい、こんなに愛おしい、そのことに、大きな感動をおぼえました。
ここでもお世話になった方々に感謝です。
生前、彼はアソビに関する理解力にすぐれ、
特殊ルールによるボール遊びや、無尽蔵に生み出される「ばーくんのうた」の合いの手に才能を発揮し、
アイコンタクトだけでお散歩を理解したり、お散歩コースの名前をしっかり憶えていたり、
大好きなお風呂に入る前には必ず自らピーをしてから
お気に入りのお風呂アソビ専用ボールをくわえて脱衣所に飛んで来たり。
「ばーくん運動会」とか「ばーくん幼稚園」とか、ほかにも様々なウチ的な遊びを、
いつなんどき振られても決して断ることのない、非常にノリの良い、明るい子どもでした。
お留守番の間のいたずらも非常に手が込んでいて、
きっちり手の届かないところに包んでおいたはずの「信玄餅」を、ビニール類は綺麗にはがして
中身のお餅だけを全部食べ、黄粉まみれで、お腹パンパンで、のけぞってた事があるかと思えば
頂き物で厳重なパッケージに入っていた生卵をいくつも、テレビやカーテンの後ろに隠してたなんてこともありました。
その割には変なところに神経質で、お散歩中どんなに疲れても、決して「お外」では座りませんでした。
今思えば、私たちを守ろうとしてくれていたのかも。
そのくせ、一歩でも家の門扉から入ると、三和土であろうがテラスであろうが、
疲れているいないにかかわらず平気でゴローンと、仰向けに寝たりするんですが。
キレイ汚いの感覚ではなくて、ウチとソト、を明快に区別していたのだと思われます。
ウチが大好きだった彼を連れて帰るのは私たちにとっては当然で、その日も、
なんの迷いも相談もなく、小さな骨壺に入った彼と一緒に帰宅。
いまも、リビングがよく見えるあたたかい窓辺に陣取っています。
たぶん、家族の誰かが亡くなった時に、一緒にお墓に入ることにするでしょう。
成仏できないとか、人と動物が一緒はいけないとか、いろんな意見があるでしょうが
ウチはウチで、みながそうしたいので、そうします。ごめんなさい(笑)
骨壺の白いカバーの上から、よく来ていたお洋服を着せてます。
飾り結びの房を胸元から出すと、これがまあ、オシャレなんです。
よく遊んでいたおもちゃや、リードは、カビが生えてきたりしたので、最近になって処分しました。
でも、痴呆徘徊(家の中。夜寝なくなった)が始まってから書き出した「バー君ノート」(いつ何をどのくらい食べ、どのくらい排泄したかや、いつ寝て、いつ起きた、を記入)4冊と、お洋服と、ご飯とお水のトレイだけは、とってあります。
亡くなった当初は、誰にも亡くなったことを話しませんでした。
バー君を良く知っている親しい友人にほど、気を使わせたくなかったし
なにより、亡くなった事実が日に日に本当になることが辛くて。
1年くらいたってから、ようやく、進んで彼の写真や動画を見れるようになってきました。
泣かずに思い出話もできるように。
こうして彼の話を普通にできるようになる日が来るなんて。あのときは考えもしませんでした。
亡くなってから思えば、ああすればよかった、こうもしてあげられた、と
いろんな後悔が思い起こされるものです。
そんな私たち家族を救ってくれたのは、先ほどの表彰状と、ある友人のハナシ、
「愛されたペットたちは、天国の虹の橋のたもとで、家族が来るのを待ってるらしい」というもの。
どこかの国の言い伝えらしいその言葉は、彼が私たちを大・大・大好きで、
忘れるどころか、いつも「まだこないなー」と待っていて(呼ばれてもまだ行けないけど!)、
それでも家族の誰に気兼ねすることなく、
生まれ持った好奇心を満たすべく、興味のあるスポットを思う存分追求しまくっている姿を想像させ、
迎えに行くその日まで、いい子で待っててねと思うわけです。
またわんこを飼うことは、いまのところ現実味がありません。
自分たちのなかの「犬度」が下がりすぎてさびしいときは、
お散歩時を狙ってご近所のわんこたちに会いにゆきます。
彼らはどの子も本当にかわいい。それをわかるのも、バージル君のおかげなのです。