ここかしこ たくさんのねがいごと。Love is praying.

ここかしこ通信

2012/07/09

その1) 曖昧が大事、というハナシ

Y2有井ゆま

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大興四代目 大西巧さんのハナシ。

ご創業大正三年、近江和ろうそく「大與」の四代目。25歳で父に弟子入り以来、職人道をまっしぐら。すべては美しい灯のために。絶 妙なバランス感覚で和ろうそく作りを支える32歳の灯り哲学とは?不定期で、直球仕事とはちょっとスタンスを置いて、ゆるゆると、トモダチ同士の会話の連載です。
(聞き手と編集/ここかしこ・有井ゆま)

 

 

大西)櫨ろうそくを初めて見る方は、「灯が大きい!」ってびっくりしはります。それだけキャンドル(洋ローソク)が浸透してるということなんですかね。

 

ありい)昔の人たちは、この、ナマの灯で生活してたんだものね。すごいよね。

 

大)でもね、ろうそくの灯りだけでモノを見る、っていうのは、
一部の限られた人たちしかできないことだったらしいですけどね。

 

あ)そうなんだ?ぜいたく品だったってこと?

 

大)そう。例えばお城とか、お金持ちのお家とか。
大工さんの日当とこの櫨ろうそく10匁が同じくらいの金額だったって聞いたことがあります。
町衆は、油に灯心を浸して灯りをとっていたらしいです。
それこそいまのティーキャンドルくらいの灯りじゃないかと。
でも、彼らも、ハレの日には、ちゃんとろうそく使ってたみたいですね。

例外は吉原。江戸の中で吉原だけが、夜でも昼のように明るく天を焦がすかのようだった、という内容の文献を読んだことあります。

 

あ)ほぅ。THE 贅沢、だね・・・。

 

大)花魁や京都でいう舞妓、芸妓の顔が白いのは、ろうそくの灯りでちょうど美しく見えるようにできてるっていいますしね。
吉原では、床に入ったら、今度はろうそくじゃなくて、油の火にしたそうです。

 

あ)へぇ。点ける動作や道具にも違いがあるわけだし、なんだか、情緒があるね。
仮の夢の花街でも、1つの灯を一緒に見つめたりしちゃったら、瞬間するっと心が寄り添うことだってありそうな。
時代劇の見過ぎかな。

 

大)好きですね~そういうの(笑)
ズバリ光源そのものだから、「見入る」なんてしないんじゃないですか?目が眩んじゃう・・・(笑)

 

あ)確かに~。経験とか知恵に直結した、現実的な「暮らしそのもの」だものね。

 

大)うん。
吉原の灯りの「使い分け」は、経済と生活にのっとった当たり前で、
かつ本能的な気がするんですよね。
男女の営みの場に煌々と照らされた灯りの元ではね…。萎えますやん(笑)。

 

あ)ああ、そうなんだ?(笑)
たしかに、夜の明るさと少子化は因果関係がないとはいえないかもしれないよねー。

それにしても、今の日本の人は間接照明をあんまり使わないね。

 

大)ほんとに。

谷崎潤一郎は『陰翳礼賛』の中で、当時ですら、陰をつくらなくなった日本人を嘆いてますよね。

谷崎が言うには、生活するにおいて、日本人とて、暗いより明るい方が便利がよいと思っていたに違いないと、言うてはるんですよ。
だけど、僕たちの祖先は煉瓦とかセメントを使わないかわりに、
庇(ひさし)を長くすることで、雨風を凌ぎ、
そういうくらしの中で、ごく自然に暗がりに住むことになったんだと、ね。

そして、いつしか陰翳のうちに美を発見し、やがては美の目的に添うように陰翳を利用するに至った、って。
力がなく、わびしく、おぼつかない外からの光線や、ろうそくに照らされる暗がりの景色を楽しんだ。
環境の中に美を発見する。
僕たちはそういうDNAをもっているんだと、思っています。

 

あ)環境の中に美を発見する・・・ものすごく、贅沢じゃない?精神的に。
権利とか、足りないものばかりを主張する風潮とは真逆な、高潔、というか。
それが私たちの土台にあるのだとしたら、こんなに自慢できることってないとおもう。

雨風凌ぐ大屋根の下に、何代も、千何百年も、暮らしてきたということは、
美も欲も、おのずとその暗さを前提として育まれるはずだよね。

光と陰、は対局にある言葉ではあるけど、決して二元論でなくて、
「ほの暗い」とか「仄明るい」とか、
日本人独特の、調和する「ぼかしの美学」みたいなゾーンに、
いろんなもののステキを我々は知覚していて、
その儚さや不確かさと共存する美しさに対しては、とても敏感に反応してきたということかしらねー。

リンゴ一つだって、明かり次第でかなりセクシーだもんね。
「美のために陰翳を利用する」というのはそういう意味でしょ?

 

大)そうそう!
“おぼつかない光”を受けるための「何か」はリンゴでも何でもよくて。

谷崎は「われわれが美を感じるのは陰翳のわずかな濃淡の差異であってそれ以外にないっ!」とまで言い切ってます。

人間の知覚はみんな、色も香りも音も、全部あいまいで、
でもそれが愛おしいなと思うんですよね。

きっとみんな、いろんなベクトルの濃淡の差が織りなすぼんやりしたものだから。

 

あ)「感覚」って、絶対じゃなく相対なものだものね、記憶も。
出たなーロマンチスト。

 

大)男はみんなそうなのっ!(笑)

きっと日本では、とりわけ豊かな風土の中で、とても優秀な感性を育てる事ができて、
自然を崇拝し、愛して、得体の知れない何かに怯えてきたんですよね。

現代の日本人にそういう感覚がなくなってしまったのでは決してなくて、
DNAの中に確かに組み込まれているはずなんだと信じたいです。
僕たちも、そういう「記憶」をもっていると思いたいです。

田園風景に懐かしさを感じたり、草花の中に生命を感じたりもそう。
「感じる」という知覚は「見る」よりも「聞く」よりも、もっともっと曖昧なのだけど、
そういう感覚を、美意識の中に組みこんできたんだと。

 

あ)そう信じたいね。最近のニュースを見てると、本当にそう思う。

日本人の気質は水が決めた、って、樋口清之さんの「自然と日本人」で読んだ事があるの。

日本はおそらく歴史的にも世界で最も水に恵まれた場所のひとつで、湿気もいい感じにあって、
苔なんか大好きだし、なにより「しっとり」が好きじゃない?
「しっとり」って感覚は絶対に0か1かじゃなくて、肌で感じる、みたいな曖昧さ。
曖昧が心地よくて、0か1に決めきれないところに、どうしても美しさを感じちゃう性みたいなものは、
共存する自然への、穏やかで優しい感謝のキモチの表れでもあったんじゃないかな。

サクラが日本人のソウルツリー(?)なのも、
ただ、ぱっと咲いてさっと散る、という短い期間の潔さだけが人気なのではなくて、
花が咲いていない真冬ですら、なんとなく木の全体が、うすピンクのオーラをまとい続けてるからかなー、なんて思うな。
希望であり、期待であって、明るくて前向きないやらしさっていうかさ。
この期待感とか、毎年変わらず咲いてくれる信頼感、みたいなものひっくるめて、サクラなんだもんね。

儚く形を変えつつ大元は決して変わらない、みたいなものは、
自然の中で、氷にも霧にも姿を変える「水」に通じるよね。
あっさり、あとくされがなくて、変幻自在で、境界線があるようでない、でもちゃんと存在してる。
若輩者が一期一会とか、とてもとても言えないんだけど・・・えーっと、水は偉大ですね、とにかく。

 

大)ゆく河の流れは絶えずして、ですね(笑)
なんにもわかんないけど、なんかぼや~としたものがわかりかけてる感じ、僕は好きですね。
灯りの中にもそういう感覚があるんですよ。灯りがともるっていうのは、単にオンオフじゃないから。
形は始終変わるし、風がないのに、ゆらめくし。
川の流れがずっと同じ水じゃないように、火だってずっと同じ灯りではなくて、
灯す空間、灯す時間、もしかしたら一緒に過ごす人や、祈りの対象によっても変わるかもしれない。
そういうことをヒリヒリと理解できちゃうとまではいかなくても、
そういうことを「なんとなく」感じることができる体ってのを持っていたいなと思いません?

 

あ)ハイ。すごく、同感です。

前にも話したと思うけど、わたし安土城跡が大好きなんだー。
あそこに行くと「なんだかわからないけど何かがわかったような気がする」感覚で肌がぞわぞわするのね。
霊感とかはまったくないんだけど。
でも、なんとなく皮膚感覚が鍛えらえる感じがするんだよね。

史跡や寺社仏閣や、壮大な大自然を目の前にしたときの、「ぞわぞわ」も、
あ、灯が変わったな、みたいな「なんとなく」の感覚も、
さっき話に出た「怯え」も、
特に信心深い訳でもない現代のアタリマエの人間として、
ここかしこがスポットをあてていきたいモノなんです。

これって、老若男女・勤勉不勉強に関係なく、
すごく生でプリミティブなここちよさだし、
生きて行くうえで自分を守ってくれる一番のチカラなんじゃないかと思うのよ。

アタマで考えるまえに、カラダで感じる。それも自然に、あくまで優しく。
いろんな事象に対してそんな風に接することができたら、理想だな。

 

ところで、職人仕事っていうのはまさに、体が頭より先になることだよね・・・?

 

>>>というわけで次回は、大西さんの職人哲学に迫ります!25歳で父上に弟子入りして8年目、「つくる」にまつわる様々なエピソードを伺っていこうと思います。

 
つづき 連載その2) 夢中と必死と快楽と、はコチラ
 

近江和ろうそく「大興」1914年創業の和ろうそく専門メーカー。滋賀県高島市。日本でも限られた職人にしか造ることのできない和ろうそくの伝統製法・生蝋手掛け製法で造られる櫨ろうそくを継承し、仏事や茶事、現代のくらしの中で使用できる灯りを創り続ける。
「心を包み込むような本物の灯りは、日本伝統の和ろう そくでしか創り出せない」という創業者の思いを受け継ぎ、
和ろうそくにおいて、多くの支持を得ている。大本山永平寺御用達。
1984年滋賀県指定 伝統工芸品認定。2011年「お米のろうそく」でグッドデザイン賞、グッドデザイン中小企業庁長官賞受賞。
NHK「美の壺」など、多数のメディア にも出演。
http://www.warousokudaiyo.com/


written byY2有井ゆま